ライスシャワーの2度目の天皇賞制覇 |
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■ライスシャワーの2度目の天皇賞制覇■ ライスシャワーは、1992年の菊花賞で、無敗の3冠馬を目指していたミホノブルボンの夢を砕き、1993年、天皇賞・春3連覇を目指した最強ステイヤー・メジロマックイーンを完璧に下した真の最強ステイヤーでした。 そして、淀(京都競馬場)の舞台で、最強馬(ミホノブルボン、メジロマックイーン)をマークし、直線できっちり交わしたレースぶりから、ライスシャワーは「淀の刺客」と呼ばれました。 しかし、メジロマックイーンの天皇賞・春3連覇の夢を砕いた翌年、1994年の天皇賞・春は、脚部不安で出走できませんでした。 さらに1年後、1995年の天皇賞・春に出走したライスシャワーは、6歳になっていました。 「あの」天皇賞・春以降、骨折などもあって、全く勝てずにいたライスシャワーの評価は4番人気でした。 しかし、ライスシャワーが、戦うレース(天皇賞・春)は、ミホノブルボン、メジロマックイーンという名馬を下した3000メートル以上の淀(京都競馬場)を舞台としています。 私は、この舞台で、敗れ去ったミホノブルボン、メジロマックイーンのためにも、ライスシャワーには負けてほしくないと考えていました。 レースは、マークすべき最強馬がいないライスシャワーが積極的なレースをします。 3コーナーからロングスパートをしたのです。 そして、直線内側で粘るライシャワーをステージチャンプが大外から物凄い脚で追い込みました。 私は、「粘れー」と心の中で叫びました。 写真判定・・・ ライスシャワーがわずかハナ差粘りました。 私は、「よし!負かした相手(ミホノブルボン、メジロマックイーン)が違うぜ」と拳を突き上げました。 あの歓喜の勝利から2ヵ月後、阪神大震災の影響で例年の阪神競馬場ではなく京都競馬場で行われた宝塚記念で1番人気に支持されたライスシャワーにあのような悲劇が待っていようとは・・・。 レース中に故障したライスシャワーは、予後不良となってしまったのです。 ライスシャワーにとって2度目の天皇賞・春の制覇は、ライスシャワー自身の最強ステイヤーの証明とライスシャワーが倒した2頭の名馬(ミホノブルボン、メジロマックイーン)の強さを証明したレースとして印象に残っています。 そして、あの淀(京都競馬場)で行われた宝塚記念の悲劇も・・・。 |
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ライスライスシャワーの2度目の天皇賞制覇 |