シャダイソフィアの死 |
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■シャダイソフィアの死■ シャダイソフィアは、1980年に社台ファームで生まれました。 父が当時売り出し中、後の大種牡馬・ノーザンテーストで、母ルーラースミストレスは、(ルーラースミストレルの)父がアメリカの大種牡馬・ボールドルーラーで、母系もよく、血統から大いに期待されました。 しかも、血統のよさを示すように栗毛の流星の可憐なお嬢様のようなルックスの牝馬でした。 シャダイソフィアは、2歳夏に函館でデビューすると周囲の期待に応えて順調に勝っていきます。 3歳になったシャダイソフィアは、クラシック路線を走り、雨の桜花賞を可憐な身体を泥んこにしながら、1着でゴールします。 オーナーの吉田善哉さんは、ここでシャダイソフィアをオークスではなく、日本ダービーへ挑戦させます。 オークスは、社台ファーム生産馬・ダイナカールが制し、シャダイソフィアは日本ダービーで17着と大敗します。 その後、シャダイソフィアは、重賞路線で5歳まで活躍します。 そして運命の1985年10月27日を迎えます。 東京競馬場で行われた天皇賞・秋で社台ファームの生産馬・ギャロップダイナがシンボリルドルフに勝ち大金星をあげた一方で京都競馬場で行われたスワンステークスでシャダイソフィアはレース中の故障で競走を中止したのです。 社台ファームは天国と地獄を味わったのです。 シャダイソフィアの故障は深刻で、オーナーの吉田さんは、「なんとか(シャダイ)ソフィアの命だけは・・・」と願いましたが、予後不良と診断され、安楽死処分をせざるをえなかったのです。 日本一のサラブレッド生産牧場である社台ファームの総帥となれば、馬の安楽死に立ち会うことも珍しくあります。 「悲しいこと」ではありますが、いちいち感慨にひたっていてはきりがありません。 しかし、その吉田さんをしてシャダイソフィアは「特別な馬」だったのです。 吉田善哉さんは、シャダイソフィアの死に涙したといわれます。 ファンにとっても美しき(シャダイ)ソフィアの死は大いなる悲しみでした。 |
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