テスラ |
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■ニコラ・テスラ■技術者■エジソンをも凌駕する交流電力システムを作った天才 □テスラを知るおすすめ作品 ▼エジソンをも凌駕する天才 ニコラ・テスラは、現在の交流電流による送電システムの概念をほとんど独力で作り上げたといわれています。 新書765知られざる天才 ニコラ・テスラ (平凡社新書) エジソンと同時代の発明家であり技術者のテスラは、ラジオ、蛍光灯やネオンの先駆けとなる放電照明、超高電圧の変圧器、高周波電流、無線誘導ロボット、羽根不要の高速タービン・エンジン(ブレードレス・タービン、いわゆるテスラ・タービン)、テスラ・コイルなどエジソンにも負けないいくつもの発明をしています。 また、レーザー光線、、太陽発電、マイクロ波による長距離送電も彼の考えた概念、方法に基づく発明です。 エジソンの発明や研究とテスラの発明や研究を比較する時、エジソンが当時の先端研究や発明をしていたとすれば、テスラは100年後(場合によってはさらに先)をも見据えた未来への発明や研究をしていたように思います。 エジソンが天才であることは当然ですが、テスラはある意味で発明王である天才・エジソンをも凌駕する大天才だと思います。 (エジソンとテスラの関係については後述する「電流戦争」でさらに踏み込んで取り上げます) 両者が天才であるのは当然ですが、両者とも優れた発想力の持ち主でした 「天才の発想力 エジソンとテスラ、発明の神に学ぶ」は2人の発想力の比較など興味深い内容になっています 革新的な考えには、発想力が不可欠です ▼ニコラ・テスラの生涯 ニコラ・テスラ(1856年7月10日−1943年1月7日) ニコラ・テスラは、1856年7月10日にハンガリー王国(現在のクロアチア西部)に生まれました。 父母はセルビア人です。 10代の頃のテスラには神童と呼ぶにふさわしいエピソードがあります。 彼は幼い頃から記憶力に優れ、小学校の頃にはヨーロッパの古典詩や聖書のほとんどを暗記してしまったといいます。 さらに中学では数学の対数表の数値を全て暗記したといわれます。 オーストリア帝国・グラーツのポリテクニックスクール、プラハ大学大学院で学んだテスラは、ポリテクニックスクール在学中の1880年には交流電磁誘導のアイデアを閃いていたといわれます。 1881年にハンガリー王国ブタベスト電信局に就職します。 1882年にフランスのパリに移転し、エジソン社欧州法人のエンジニアとして就職し、その年に交流電磁誘導のアイデアから多相電動機を作ります。 この電動機の完成こそ、後の交流電力システムへの第一歩です。 1884年にアメリカに移住し、エジソン電灯社のエジソン機械工場に採用されます。 エジソン電灯社では、よりコストのかからない配電を研究していました。 テスラは以前から独自に考えていた交流による配電方式を提案しますが、エジソン及びエジソン電灯社は直流による配電方式を推進しており、テスラの交流による配電方式が採用されることがありませんでした。 この配電方式を巡ってはエジソンとテスラで次のようなやりとりがあったといわれます。 エジソンはもしテスラが(よりコストのかからない)交流による配電方式を開発することが出来れば5万ドル(現在では100万ドル相当)を提供するとの約束をしたといいます。 しかしテスラが革新的、画期的なアイデアにより開発のめどを立たせると、エジソンは「君はアメリカのユーモアを理解していない」と約束を反故にしたといいます。 エジソンは交流による配電方式の開発は到底不可能だと考えていたようですし、直流による配電方式を今後も推進してくつもりでいましたから内心は穏やかでなかったでしょう。 結局、配電方式をめぐる意見の違いからテスラはエジソン電灯社を退職します。 そしてこれが後に「電流戦争」といわれるエジソンとテスラによる直流と交流の配電方式を巡る長い「冷戦」の始まりとなります。 1886年にテスラは自分に会社(テスラ電灯社)を設立します。 1887年にブラシレスの交流誘導電動機を作ったテスラは、翌1888年に行ったこの電動機の公開実験にをきっかけに億万長者のウェスティングハウスと提携してウェスティングハウス社を設立します。 (ウェスティングハウスは公開実験に感銘を受け、またテスラの交流による配電方式にも関心を示したようです) 同年10月には交流電源の特許を取得します。 1891年、100万ボルトまで出力できる高圧変圧器を発明します。 この年にテスラはアメリカの市民権を取得します。 1901年にテスラは資産家のJ.P.モルガンの援助で高さ57mの無線送信塔(ウォーデンクリフ・タワー)の建設を開始し、1905年には完成するものの、その後モルガンとの関係が悪化し、資金繰りに行き詰まり研究が中断します。 アメリカが第一次世界大戦に参戦すると標的にされるとの理由で1917年に塔は撤去されます。 1915年にはエジソンとともにノーベル物理学賞の受賞候補になりますが、受賞を辞退しています。 (エジソン、テスラが同時受賞を嫌ったともいわれます、そのため両者とも受賞していません) 1917年にはアメリカ電気工学協会エジソン勲章の授与対象になりますが、これを拒否しています。 (エジソンとの関係はテスラの退職の経緯、「電流戦争」の影響もあり生涯にわたって悪かったといわれます) 1943年1月7日、ニューヨークのホテルにて死去。享年86 ■電流戦争 1880年代からエジソンの直流方式とテスラの交流方式で激しい競争が展開されました。 エジソンは交流の危険性を強調し印象付けるために動物を処分する電源に交流を使ったり、電気椅子による死刑の最初の電源に交流を採用させる働きかけを裏から行うなどの「ネガティブ・キャンペーン」を展開します。 (エジソン自身は死刑反対派だったといわれますが、交流に非難が集中することを願っての働きかけだったのでしょう) しかし、1986年11月6日にナイアガラの滝を利用した発電所の送電システムにテスラの交流送電システムが採用されたことにより、事実上の決着がつき、送電、配電の方式として交流方式が勝利することになります。 変圧しやすい交流は、高電圧で送電することによって送電コストを抑えられ、利用者の扱いやすい電圧(高電圧のままでは危険で使いづらい)に変圧できる「優位性」があります。 エジソンも交流の「優位性」を認識していましたが、直流にこだわりました。 その理由とは・・・ エジソンは優れた研究者、実験者でした しかし、高度な教育を受ける機会のなかったエジソンには高度な数学、物理学の知識や能力を必要とする交流は扱うのが難しいという背景があったようです。 ▼テスラの死と研究資料など 彼は生涯独身でホテルで一人暮らしをしており、部屋の清掃に来た家政婦によりその死が確認されるという寂しいものでした。 彼の死後、数トンに及ぶといわれる彼の発明品、設計図、研究資料がアメリカ軍、FBIによって持ち去られた、さらにはユーゴスラビアを通じて一部がソ連に渡ったと噂されました。 実際にこの「伝説」は噂だけでなく、多くが事実であったことが記録資料や近年の研究によってにより明らかになっています。 ▼マッド・サイエンティストではなく未来を見つめた科学者 彼はエジソンをも凌ぐ天才でしたが、彼の研究は風変わりであったり、あまりにも壮大なスケールであったり、当時の科学のレベルを超えたものであったため、必ずしも正当に評価されたとはいえません。 (21世紀になってようやく「時代」がテスラに追いつきつつあり、彼の再評価がされています) またエジソンのような「商才」に欠け、社会とうまく折り合えなかったのも原因かもしれません。 そして幼少期からの幻想、異常なまでの潔癖症、ホテルに泊まる時には3で割り切れる部屋番号を要求、列車事故を事前に回避した予知能力、「宇宙人と交信している」、「地球を分断することが出来る」といった発言などにより、頭が切れるが危険な「マッド・サイエンティスト」と扱われる場合もあります。 (テスラの実像は穏やかで平和を愛する科学者にすぎないのに・・・) ▼テスラの壮大な考え 1943年にテスラの概念、考えを元にアメリカ軍が行った「フィラデルフィア実験」では軍艦がワープしたともいわれています。 軍艦の中では乗組員の身体が甲板にめり込んだとも・・・空間が歪んだような光景です。 この「危険な」実験は、軍事機密に関わり、真偽のほどはわかりませんが、SFの世界を思わせ、実験の元になった概念を考えたテスラは怪しげな科学者と思われたのかもしれません。 他にテスラが関わったとされる装置をいくつか列記すると・・・人工地震兵器、殺人光線、気象兵器、反重力装置などこれはSFや未来を感じさせるものばかりです。 放電実験で25マイル先まで200もの電灯を「電線なし」で点灯させ、無線による送電システムである「世界システム」を考えていたテスラは個人的にはマッド・サイエンティストではなく未来を見つめた科学者だったと思います。 友人である作家のマーク・トウェインは、テスラのことを「稲妻博士」と呼んでいたといわれます。 彼の研究のフィールドは地球そのものをエネルギー場と考え、さらには宇宙にも目を向けていたと思えるほど壮大なスケールでした。 天才ニコラ・テスラのことば あの発明王エジソンをも凌駕するといわれる天才・二コラ・テスラの言葉 ▼ニコラ・テスラの実像 テスラは190cmを超える長身でハンサム、1日に4時間ほどしか睡眠をとらなかったといわれ、8つもの言語に堪能で詩作、哲学、音楽にも精通していたといわれます。 (宙返りも出来たようですから頭脳明晰、かなりの運動神経でしかもハンサム・・・完璧なかっこよさですね・・・) モルガン嬢などいくつかの恋もあったようですが、生涯独身でした。 そしてエジソン電灯社に入社やアメリカに渡ったように当初はエジソンを尊敬していたと思われます。 正直ゆえに不器用な生き方をした科学者・・・これがテスラの実像だと思います。 彼は環境問題、エネルギー問題にも関心があったといわれますからある意味「エコロジスト」のはしりかもしれません。 100年先(あるいはさらに先)を見つめた天才科学者・・・ニコラ・テスラ 彼の名は磁場の強さを示す磁束密度の国際単位「テスラ」に採用されました。 □テスラを知るおすすめ作品 |
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