輪島大士 |
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RANKING外の強豪力士
■輪島大士■北の湖のライバル (RANKING外) |
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輪島 大士(わじま ひろし) | ||||||||||||||||||||||||||||||
本名・輪島博〜出身地・石川県〜身長186センチ、体重132キロ | ||||||||||||||||||||||||||||||
生没年月日・1948年1月11日〜2018年10月18日 | ||||||||||||||||||||||||||||||
最高位・横綱 | ||||||||||||||||||||||||||||||
■コメント | ||||||||||||||||||||||||||||||
輪島大士は、少し異質のところがある天才型の力士です。 「蔵前の星」「黄金の左」などと呼ばれ、「憎らしいほど強い」といわれた北の湖の全盛期においても好勝負をしていた強豪の横綱です。 本名のまま横綱になった初の力士で、大学相撲出身者(学士力士)初の横綱です。 派手な言動や行動で注目され、多くの相撲の常識・セオリー・タブーなどを破った力士です。 □輪島大士を知るおすすめ作品 ■履歴 ▼大相撲入門まで 輪島大士は、1948年1月11日に石川県で生まれます。 小中高大と全ての世代で全国レベルに近い活躍をします。 特に大学では2年連続で学生横綱に輝くなど14個のタイトルを獲得しました。 ▼現役 1970年に花籠部屋に入門。 同年1月に初土俵。 (幕下付け出し、しかもちゃんこ番などの雑務を免除され、大学の宿舎から通う異例の特別待遇) 瞬く間に出世し、1971年1月に新入幕。 1972年9月には千秋楽で貴ノ花と水入りの大相撲を制し、場所後に貴ノ花とともに大関昇進。 大関になっての4場所目の1973年5月に全勝優勝し、場所後に横綱昇進。 初土俵からわずか3年半という超スピード出世で横綱へ上りつめ、史上初の学士・本名横綱が誕生しました。 学生相撲出身者初の横綱で、本名のまま横綱となったのも輪島が初(外国出身力士が帰化し、四股名を本名とした例を除く)で、右のしぼり・おっつけが強烈で、相乗効果で左の下手が強くなり、黄金のまわしとあいまって「黄金の左」といわれ、数々の型破りな言動・行動をした天才型の力士です。 「黄金の左」といわれているが、ポイントは右のしぼりやおっつけが強烈なためで、このことは対戦したライバルの北の湖も証言しています。 小兵力士に強く、巨漢力士を苦手とする面がありました。 横綱昇進後に、「輪島時代」を築くと思われたが、北の湖の台頭で、「輪湖時代」から「北の湖時代」となりました。 それでも「強い」といわれた北の湖相手によく健闘し、北の湖最大のライバルは輪島でした。 輪島のハイライトは、1974年7月の本割、優勝決定戦を連勝し、逆転優勝したことでしょうか。 北の湖有利(特に対戦の後半)といわれながら、輪島も存在感を示している点もあります。 対戦の後半は北の湖が優勢でしたが、対戦の前半は輪島のほうが優勢でした。 このため、通算の対戦成績では拮抗しているものの、輪島が23勝21敗で勝ち越しています。 北の湖という「強い」横綱とほぼ同時代(輪島のほうが年上)ながら、優勝14回を積み重ねたのは評価するところです。 あの「強い」北の湖に得意の右上手をとらせ、左半身で(左下手と)強烈な右のしぼり・おっつけで対抗できました。 北の湖に得意の右上手をとらせて対抗できたのは輪島のみかもしれません。 そんな輪島も1981年3月中に現役引退します。 ▼現役引退後 引退後は、花籠部屋を継承しますが、輪島の妻の自殺未遂、年寄「花籠」の年寄株の借金担保問題などで、角界を去ることになります。 1986年に全日本プロレスに入団。 慣れないプロレスの世界でそれなりに頑張り、周囲(特に全日本プロレスの総帥・ジャイアント馬場)も特別待遇したが、大相撲時代から仲のよかった石川敬士の退団で、1988年12月にプロレスを引退しました。 プロレス引退後は、大相撲解説などタレントとして活躍。 その後もアメフトチームの総監督などで活躍 2009年1月18日に久々のNHK大相撲中継でデーモン小暮閣下と共に出演し解説を務める。 2013年に下咽頭癌の手術で声を失う。 2015年11月20日に最大のライバル・北の湖理事長が死去する。 2018年10月18日に死去。享年70。 ▼大相撲の常識・セオリー・タブーを破った天才 輪島は、大鵬らとタイプは違いますが、ある意味「相撲の天才」です。 ・髷を結う以前に、ざんばら髪が目に入るといってパーマをかける ・下位の頃から高級外車を乗り回す ・黄金のまわしをつける(輪島以外にもつける例はあるが輪島は角界の頂点・横綱、朝青龍や白鵬などが横綱でつけた例あり) ・すり足が基本の相撲でタブーとされるランニングをトレーニングに取り入れる (以前に横綱・玉の海らも取り入れている) ・「稽古」を「練習」と呼ぶ ・「上手投げと下手投げでは下手投げは不利」「下手投げの得意な力士は大成しない」とのセオリーを覆し、輪島は下手投げが得意で角界の頂点である横綱となる ・稽古などは少ないが、抜群の「(本番への)調整能力」をもつ ・初の学士・本名の横綱 ・前述のように、小中高大の各世代で全国レベルに近い活躍をする ・1973年11月に15日制においては稀な12勝2敗1休の休場を含めた優勝をする (2015年6月3日現在15日制では唯一) (1989年3月の14日目に千代の富士はケガをし、千秋楽を休場したが、不戦敗扱い) 天才横綱=輪島大士物語 学生横綱で唯一角界の頂点を極めた輪島大士 さまざまな大相撲界の常識・セオリー・タビーを破った少し異質の面もある天才力士の半生を描く 大相撲名力士風雲録8−月刊DVDマガジン 輪島 大相撲の数々の常識・タブーを破り角界の頂点(横綱)になった輪島大士 大鵬とはタイプは違いますが、輪島も「相撲の天才」といえるかも ▼ライバル の輪島のライバルといえば、なんといっても北の湖です。 (対戦成績は輪島大士から見ています) 北の湖敏満 北海道出身、身長179cm、体重169kg 幕内通算成績 78場所 804勝247敗107休 勝率7割6分5厘 優勝24回 殊勲賞2回 敢闘賞1回 金星1個 最高位・横綱 対戦成績 23勝21敗 「憎らしいほど強い」といわれた横綱です。 晩年は失速しましたが、双葉山、大鵬、千代の富士と並ぶ「昭和の大横綱」です。 北の湖敏満についての更なる詳細は、史上最強力士RANKING内の北の湖敏満を参照 ○○●○○○○○●●○○○○○●●●○○○○●○●●○●○●●●○●●○○ ●●●●●○● (上の対戦成績は本場所の本割でのもの、他に優勝決定戦は輪島の1勝1敗) □輪島大士を知るおすすめ作品 |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
昭和46(1971)年1月 | 西前11 | 9勝6敗 | ●●○●○○●●○○○○○○● | ||
昭和46(1971)年3月 | 西前5 | 5勝10敗 | ○●○●●●●●●●○○●○● | ||
昭和46(1971)年5月 | 東前12 | 11勝4敗 | ○○○○○○●○○●●○○○● | 敢 | |
昭和46(1971)年7月 | 西前2 | 6勝9敗 | ○●○○●●●●○●●●●○○ | ||
昭和46(1971)年9月 | 東前6 | 10勝5敗 | ●○○●●●●○○○○○○○○ | ||
昭和46(1971)年11月 | 東前1 | 11勝4敗 | ○●○○●□○○○●●○○○○ | 敢 | |
昭和47(1972)年1月 | 東小結 | 10勝5敗 | ○●●○□○●●●○○○○○○ | 殊 | |
昭和47(1972)年3月 | 西関脇 | 9勝6敗 | ●○●●○○○○○●●□○○● | ||
昭和47(1972)年5月 | 西関脇 | 12勝3敗 | ○●●○○○○○○○○○○○● | 1 | 殊 |
昭和47(1972)年7月 | 東関脇 | 8勝7敗 | ●○○○●○●●●○●○○○● | ||
昭和47(1972)年9月 | 東張関 | 13勝2敗 | ○○○○○○○●○●○○○○○ | 殊 | |
昭和47(1972)年11月 | 東大関 | 11勝4敗 | ○○○●○○●○○○○●●○○ | ||
昭和48(1973)年1月 | 西大関 | 11勝4敗 | ●○○○○○○○○○●●○●○ | ||
昭和48(1973)年3月 | 東大関 | 13勝2敗 | ○○○●○○○○○○○○○●○ | ||
昭和48(1973)年5月 | 東大関 | 15勝 | ○○○○○○○○○○○○○○○ | 2 | |
昭和48(1973)年7月 | 東横綱 | 11勝4敗 | ○○○○○●○●○○○○●○● | ||
昭和48(1973)年9月 | 東張横 | 15勝 | ○○○○○○○○○○○○○○○ | 3 | |
昭和48(1973)年11月 | 東横綱 | 12勝2敗1休 | ○○○○○○○○○○○○●■休 | 4 | |
昭和49(1974)年1月 | 東横綱 | 12勝3敗 | ●●○○○○○○○○○○○○● | ||
昭和49(1974)年3月 | 東横綱 | 12勝3敗 | ○○●○○○○●○○○●○○○ | 5 | |
昭和49(1974)年5月 | 東横綱 | 10勝5敗 | ○○○●●○○○○○○●●●○ | ||
昭和49(1974)年7月 | 東横綱 | 13勝2敗 | ○○○○○●○○○○●○○○○ | 6 | 決 |
昭和49(1974)年9月 | 東横綱 | 14勝1敗 | ○●○○○○○○○○○○○○○ | 7 | |
昭和49(1974)年11月 | 東横綱 | 9勝6敗 | ●○○○○○●●●○○●○●○ | ||
昭和50(1975)年1月 | 西横綱 | 10勝5敗 | ●○○○○○○●○●○●○●○ | ||
昭和50(1975)年3月 | 西横綱 | 4敗11休 | ●●●■休休休休分休休休休休休 | ||
昭和50(1975)年5月 | 西横綱 | 3敗12休 | ●●■休休休休分休休休休休休休 | ||
昭和50(1975)年7月 | 西横綱 | 15休 | 休休休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和50(1975)年9月 | 西横綱 | 10勝5敗 | ○●○○○○●○○○○○●●● | ||
昭和50(1975)年11月 | 西横綱 | 11勝4敗 | ○○○○●●○○○●○○○○● | ||
昭和51(1976)年1月 | 西横綱 | 12勝3敗 | ●●○○○○○○○○○○○○● | ||
昭和51(1976)年3月 | 西横綱 | 13勝2敗 | ○○○○○○○○○○●○●○○ | 8 | 決 |
昭和51(1976)年5月 | 東横綱 | 13勝2敗 | ●○○○○○○●○○○○○○○ | 決 | |
昭和51(1976)年7月 | 東横綱 | 14勝1敗 | ○○○○○●○○○○○○○○○ | 9 | |
昭和51(1976)年9月 | 東横綱 | 12勝3敗 | ○○○○●○○○○●●○○○○ | ||
昭和51(1976)年11月 | 東横綱 | 13勝2敗 | ○○○○○○○○●○○○○○● | ||
昭和52(1977)年1月 | 西横綱 | 13勝2敗 | ○○○○○○○●○○○●○○○ | 10 | |
昭和52(1977)年3月 | 東横綱 | 12勝3敗 | ○○○○●○○○○○○○○●● | ||
昭和52(1977)年5月 | 西横綱 | 11勝4敗 | ○●○●○○□●○○○○○○● | ||
昭和52(1977)年7月 | 西横綱 | 15勝 | ○○○○○○○○○○○○○○○ | 11 | |
昭和52(1977)年9月 | 東横綱 | 10勝5敗 | ○○○○○●○○○○●●●○● | ||
昭和52(1977)年11月 | 西横綱 | 14勝1敗 | ○○○○○○○●○○○○○○○ | 12 | |
昭和53(1978)年1月 | 東横綱 | 10勝5敗 | ○○○○○○○○○●○●●●● | ||
昭和53(1978)年3月 | 西横綱 | 1勝1敗13休 | ○■休休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和53(1978)年5月 | 西横綱 | 9勝6敗 | ●○○○○●○○○○●●●○● | ||
昭和53(1978)年7月 | 東張横 | 14勝1敗 | ○○○○○○○○○○○○○●○ | ||
昭和53(1978)年9月 | 西横綱 | 1勝3敗11休 | ●○●■休休休休休休休休休休休 | ||
昭和53(1978)年11月 | 東張横 | 13勝2敗 | ○○○○○○○○○○○○●○● | ||
昭和54(1979)年1月 | 西横綱 | 10勝5敗 | ○●○○○○○○●●○●●○○ | ||
昭和54(1979)年3月 | 東張横 | 12勝3敗 | ○○○○○○○○○●○○○●● | ||
昭和54(1979)年5月 | 東張横 | 12勝3敗 | ○○○○○○○○○●○○●○● | ||
昭和54(1979)年7月 | 東張横 | 14勝1敗 | ○○○○○○○○○○○○○○● | 13 | 決 |
昭和54(1979)年9月 | 東横綱 | 10勝5敗 | ○○○○○○○●○●○○●●● | ||
昭和54(1979)年11月 | 西張横 | 10勝5敗 | ●○○○○○○●○○●●○●○ | ||
昭和55(1980)年1月 | 西張横 | 3敗12休 | ●●■休休休休休休休休休休休休 | ||
昭和55(1980)年3月 | 西張横 | 11勝4敗 | ●○○○○●○○○○○○●●○ | ||
昭和55(1980)年5月 | 東張横 | 11勝4敗 | ○○○○○●○○○○○○●●● | ||
昭和55(1980)年7月 | 東張横 | 1勝4敗10休 | ●○●●■休休休休休休休休休休 | ||
昭和55(1980)年9月 | 西張横 | 11勝4敗 | ○○○○○○○○●○●○●●○ | ||
昭和55(1980)年11月 | 東張横 | 14勝1敗 | ○○○○○○○○○○○○○●○ | 14 | |
昭和56(1981)年1月 | 東横綱 | 10勝5敗 | ○○●○●●○○○○○○○●● | ||
昭和56(1981)年3月 | 西横綱 | 1勝2敗 | ○●■ | ||
幕内通算成績 62場所 620勝213敗85休 勝率7割4分4厘 優勝14回 殊勲賞3回、敢闘賞2回 |
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