雷電震右エ門(阿武松和助) |
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■雷電震右エ門(阿武松和助)■唯一雷電の名を継いだ強豪 |
雷電 震右衛門(らいでん しんえもん) |
本名・和吉→楠 和助〜出身地・石川県〜身長177cm、体重125kg |
生没年月日・天保13(1842)年−明治17(1884)年11月16日 |
最高位・大関 |
■コメント |
雷電震右エ門(らいでん・しんえもん)は、史上最強力士といわれた雷電為右エ門引退後に唯一「雷電」の名を継ぎました。 そして病気になり力が衰退する前はその名を継ぐにふさわしい強豪ぶりを示しました。 大関を陥落すると阿武松和助に改名します。 雷電震右エ門以後、「雷電」の名を継ぐ者は無く、いわゆる「止め名」となっています。 ▼履歴 文久2(1862)年頃に阿武松の門に入ったといわれます。 元治元(1864)年4月に槇割の名で初土俵、順調に出世をし、入幕前にすでに姫路藩の抱えとなりました。 その間に里神楽、北ノ浦、兜山と改名しています。 明治3年(1870)年4月に新入幕、明治4(1871)年11月5日目から明治9(1876)年1月2日目まで43連勝をします。 この間に明治5(1872)年4月から3場所連続優勝相当、1場所(4勝6休)置いてまた優勝相当の成績を挙げています。 連勝中の明治6(1873)年4月に兜山和助から雷電震右エ門に改名、雷電を名乗る際には形式的に雷電為右エ門ゆかりの松江藩に伺いを立てたといわれます。 明治10(1877)年1月には大関となりますが、大関となってからは病気に苦しみます。 大関となった翌場所の同年10月から3場所連続全休、休場中の明治10(1877)年12月に大関を陥落すると雷電震右エ門から阿武松和助に改名します。 明治12(1879)年1月に復帰するものの、全盛期の勢いはなく、明治13(1880)年1月に優勝相当(6勝2敗1分1休)の成績を挙げた以外は目立った成績は無く明治14(1881)年5月の全休を最後に引退しています。 現役中に「年寄無用」を唱えたため、相撲会所と折り合いが悪く、阿武松の名で年寄を許されず、芝田山と改めました。 ▼特徴 上手を取られると脆かったともいわれますが、肩幅が広く、筋骨隆々の怪力で組んでよし離れてよしでした。 品行方正で「飲む、打つ、買う」を一切やらず相撲一筋でしたが、あまりに強すぎ、色黒で、容姿も美貌を謳われた朝日嶽、綾瀬川に劣り、人気は今ひとつだったようです。 明治の強豪・梅ヶ谷藤太郎(初代)も当初は雷電に分が悪く、史上4位の58連勝も雷電に敗れた翌場所の明治9(1876)年4月からスタートしています。 梅ヶ谷の上昇と雷電の病気による下降が交錯しており、病気がなければ梅ヶ谷に対抗していた可能性もあり、大横綱となっていたかもしれません。 ▼ライバル 雷電震右エ門(阿武松和助)のライバルとしては梅ヶ谷藤太郎(初代)が挙がります (対戦成績は雷電から見たものです) 梅ヶ谷藤太郎(初代) 福岡県出身、176cm、105kg 幕内通算成績 22場所 116勝6敗18分2預78休 勝率9割5分1厘 優勝相当9回 最高位・大関(横綱免許) 明治の大横綱で、史上2位の幕内勝率9割5分1厘、史上4位となる58連勝を記録した強豪です 梅ヶ谷藤太郎(初代)についての更なる詳細は、史上最強力士RANKING内の梅ヶ谷藤太郎(初代)を参照 対戦成績 2勝2敗4分 ○分分○分●●分 最初の2戦は、まだ幕下(現在の十両)にいる時の梅ヶ谷と幕内の雷電が対戦したものです |
■幕内通算成績 | |||||
場所 | 番付 | 成績 | 星取表 | 優勝 | 備考 |
明治3(1870)年4月 | 東前7 | 7勝1敗2休 | ○○○●○○○○休休 | ||
明治3(1870)年11月 | 東前5 | 6勝1分3休 | ○○○○分○○休休休 | (1) | |
明治4(1871)年3月 | 東前3 | 7勝3休 | ○○○○○休○○休休 | ||
明治4(1871)年11月 | 西前2 | 4勝2敗1分1預2休 | 分●○●○預○休○休 | ||
明治5(1872)年4月 | 西前2 | 6勝2分1預1休 | ○預○分○○分○○休 | (2) | |
明治5(1872)年11月 | 東小結 | 8勝2休 | ○○○○○○○○休休 | (3) | |
明治6(1873)年4月 | 東関脇 | 7勝2預1休 | ○預○○○○預○○休 | (4) | |
明治6(1873)年12月 | 東関脇 | 4勝6休 | ○○○○休休休休休休 | ||
明治7(1874)年3月 | 東関脇 | 7勝2分1休 | ○○分○○分○○○休 | (5) | |
明治7(1874)年12月 | 東関脇 | 6勝3分1休 | ○○分分○分○○○休 | ||
明治8(1875)年4月 | 東関脇 | 10休 | 休休休休休休休休休休 | ||
明治9(1876)年1月 | 東関脇 | 7勝2敗1休 | ○○●○●○○○○休 | ||
明治9(1876)年4月 | 東関脇 | 5勝1敗2分2休 | ○○○分分●○○休休 | ||
明治10(1877)年1月 | 西大関 | 5勝2敗1分2休 | ○○○●○●○分休休 | ||
明治10(1877)年6月 | 西大関 | 10休 | 休休休休休休休休休休 | ||
明治10(1877)年12月 | 西張出 | 10休 | 休休休休休休休休休休 | ||
明治11(1878)年6月 | 西張出 | 10休 | 休休休休休休休休休休 | ||
明治12(1879)年1月 | 東張出 | 5勝3敗1分1休 | ○○分○●●○●○休 | ||
明治12(1879)年6月 | 東小結 | 6勝1敗1預2休 | ○○○○○預●休○休 | ||
明治13(1880)年1月 | 東関脇 | 6勝2敗1分1休 | ●○○○○○○●分休 | (6) | |
明治13(1880)年5月 | 西関脇 | 10休 | 休休休休休休休休休休 | ||
明治14(1881)年1月 | 西小結 | 4敗1分5休 | ●分●●●休休休休休 | ||
明治14(1881)年5月 | 西前3 | 10休 | 休休休休休休休休休休 | ||
幕内通算成績 23場所 96勝18敗15分5預96休 勝率8割4分2厘 優勝相当6回 | |||||
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