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柴田政人
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■柴田政人■
柴田政人(しばた・まさと) 青森県出身
生没年月日・1948年8月19日−
所属団体・日本中央競馬会(JRA)・・・中山競馬場→美浦トレーニングセンター
所属厩舎・高松三太→境勝太郎→高松邦夫
騎手通算成績・11728戦1767勝(中央競馬のみ) 勝率0.151 連対率0.278
主な勝利・桜花賞1回、皐月賞2回、日本ダービー1回、菊花賞1回、天皇賞・春1回、天皇賞・秋2回、有馬記念1回など
重賞勝利・89勝
■コメント
■柴田政人(古武士、厩舎所属を貫いた男、義理人情の男)

中央競馬の元騎手で現在は中央競馬の調教師

兄に栗東の元調教師・政見、弟に元騎手の利秋、叔父に元調教師の不二男、甥に騎手の善臣らのいる競馬一家

どちらかといえば、追える「剛腕」タイプで、岡部幸雄騎手とよく比較され、「静」の岡部に対し、「動」の柴田とも、「柔」の岡部に対し、「剛」の柴田ともいわれます。

馬事公苑「花の15期生」(同期には福永洋一、岡部幸雄らがいる)の一人です。

日本ダービー制覇を悲願とし、引退の少し前に日本ダービーを制覇しました。

フリーとなった岡部幸雄とは対照的に厩舎所属を貫いた騎手として知られます。


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■履歴
▼少年時代
1948年に青森県で生まれ、最初は騎手志願を両親に反対されるも、最後は両親が折れ、馬事公苑の騎手養成所に合格します。

▼馬事公苑時代
1964年4月に馬事公苑の騎手養成所に入学

同期には福永洋一岡部幸雄らがおり、「(馬事公苑)花の15期生」といわれました。

当時の教官によると、福永・岡部は先天的に騎手向きの「達者型」、柴田は努力で上達する「上手型」であったそうです。

▼騎手時代
1967年に、高松三太厩舎所属騎手としてデビューすると、厳しい上下関係の中で騎乗技術を磨きます。

徐々にではありますが、勝ち星を増やし、4年目の1969年1月に厩舎期待のアローエクスプレスで重賞初勝利をします。

同馬は、クラシックの有力候補で、まだ若い柴田に不安を感じた馬主・伊達秀和氏の意向で、皐月賞前に当時の関東のトップ・ジョッキー・加賀武見に乗り変わります。

乗り代わりに納得のいかない柴田は高松三太に詰め寄りますが、「俺だってお前(柴田政人)を乗せたい、でもアロー(エクスプレス)は関東の期待馬だ、口惜しかったら乗り代わりをされないほど上手くなれ」という主旨の発言に発奮し、飛躍の原動力とします。

1971年には35勝を挙げますが、1972年は18勝止まり

1973年に発奮し、61勝で関東リーディング

1978年にファンタストで皐月賞制覇、同馬の馬主はアローエクスプレスと同じ伊達秀和でした。

しかし、1979年1月に高松三太が病気で死去し、一時境勝太郎厩舎に移籍します。

高松三太の息子・邦夫が調教師になるとすぐに高松邦夫厩舎に移籍します。

1980年にプリティキャストで天皇賞・秋を制し、1983年にはキョウエイプロミスで天皇賞・秋を制します。

同馬とは続くジャパンカップでスタネーラの2着と善戦

1985年にはミホシンザンで皐月賞、菊花賞を制しますが、有馬記念ではシンボリルドルフに完敗の2着

1987年はミホシンザンで天皇賞・春制覇

当時の目標の騎手は、ほとんどが岡部幸雄か柴田政人といわれるほど名声が高まります。

1990年代は海外の競馬にも積極的に参加

1993年には念願の日本ダービーをウイニングチケットで制覇

しかし翌1994年に骨折、骨折から復帰するも自分のイメージ通りの騎乗ができなくなり、同年9月に引退を表明

1995年2月16日に調教師試験に合格し、同日に騎手を引退

▼調教師時代
騎手引退後は、調教師、
重賞は勝てませんでした。

2019年2月28日、調教師引退


■騎手としての特徴
追えるいわゆる「剛腕」騎手で、長距離戦は「天才」といわれた福永洋一以上とも

■騎乗馬の選択
柴田は騎手時代を通じて「厩舎社会の義理」を非常に重視したことで知られ、複数の騎乗馬の選択に際しては、馬の能力よりも過去の恩義や人間関係を優先し、また他騎手の騎乗馬を奪う形での乗り替わりを嫌ったといわれます。
(前述の「アローエクスプレス乗り代わり事件」が背景にあるようです)

ドライな選択をした岡部幸雄と対照的ですね。

野平祐二は、柴田を「過去に世話になった義理とかを守ってばかりいる。そして走らない馬、ダメな馬にばかり跨っている」とも「妙な男」(単純に「妙な男」と発言したわけではいことに注意、その発言に悪意はない)」とも評したといわれます。

野平祐二が岡部を「岡部君」、柴田を「政人」と呼んだのもこのことと関係があるかもしれません。

昔かたぎの古武士風のたたずまいから柴田政人の人柄を評価する人も

■岡部と福永
岡部幸雄
いろいろと対照的であった岡部でしたが、お互い「好敵手」として認め合っていたそうです。

福永洋一
同期では、福永と柴田は特に仲がよく、JRAの騎手となった福永の息子・祐一は、柴田の厩舎に所属するのでは・・・との予測もありました。


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■年度別成績(中央競馬のみ)
年  勝利数 勝率 連対率  主な勝利
1967 .099 .198  
1968 23 .097 .208  
1969 25 .094 .192  
1970 31 .119 .221  
1971 35 .110 .219  
1972 18 .096 .214  
1973 61 .202 .308  
1974 68 .193 .313  
1975 51 .123 .230  
1976 48 .171 .387  
1977 48 .152 .250  
1978 48 .143 .240 皐月賞
1979 62 .127 .242  
1980  58 .123 .227 天皇賞・秋
1981 73 .155 .278 桜花賞
1982 82 .152 .292 天皇賞・秋
1983 70 .143 .288  
1984 76 .163 .281  
1985 101 .181 .318 皐月賞、菊花賞
1986 86 .150 .273  
1987 81 .144 .297 天皇賞・春
1988 132 .196 .345  
1989 88 .164 .310 有馬記念
1990 85 .159 .305  
1991 76 .135 .269  
1992 83 .134 .270  
1993 113 .183 .321 日本ダービー
1994 37 .185 .325  
1767 .151 .278  
(注)数字の太字は全国リーディング




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