杉下茂 |
ホーム>>>スタディ>>>スポーツ>>>日本プロ野球選手>>>さ>>> |
■杉下茂■野球選手■フォークボールの神様、フォークボールの元祖 右投右打 身長182センチ、体重71キロ 1922年9月17日−2023年6月12日」 杉下茂(すぎした・しげる)は、日本野球初の本格的フォークボールの使い手とされ、日本プロ野球初の完全試合達成者の藤本英雄が日本野球における「スライダーの元祖」なら、杉下は同じく「フォークボールの元祖」といわれる 影響力の大きさなどから「フォークボールの神様」ともいわれています 今のようにフォークボールを多投せず、ここぞの場面で「切り札」として使ったので、1試合のフォークボールは、せいぜい5、6球だったという 「魔球」といわれる変化球は数あれど杉下茂のフォークボールはその最たるものかもしれない 杉下によると、失投でないフォークボールを打たれたのは現役の晩年に長嶋茂雄に打たれた1本だけだという (実はプロ入り前のフォークボールを覚えたての頃のある試合にも当たり損ねの安打を打たれたことがある・・・初めて投げたフォークボールが当たり損ねの内野安打となり、縁起が悪いとフォークボールを封印したことがある) ■履歴 ▼プロ入り前 旧制帝京商では、後に中日の監督などになる天地俊一の元で「4番・一塁」で、長身のため、控え投手だったが弱肩だった 手榴弾投げの練習で肩が強くなったといわれる 戦後にアマチュア野球のいすゞ自動車に入社し、投手としてノーヒットノーランを達成するなど活躍 天地の母校・明大専門部に進学し、天地からアメリカ経由で伝わったフォークボールを教えられる 前述のように、ある試合で最初にフォークボールを投げると、当たり損ねの内野安打となり、縁起が悪いとフォークボールを封印する ▼プロ 専門部から中日入団 1949年に、中日に入ると、初登板の東急戦で、フォークボールの封印を解き、大下弘(青バットの天才打者)から3奪三振 この年は8勝 1950年から1955年まで6年連続20勝以上を含む9年連続2ケタ勝利 特に、1954年は、天知監督時代だが、32勝、防御率1.39、273奪三振などで、投手5冠(同一シーズンに防御率、勝率、勝利数、奪三振数、完封数がリーグトップ) 400勝投手投手・金田正一との投げ合いにも全勝 中日をリーグ優勝、日本一に導き、セ・リーグMVP(上記の好成績)、日本シリーズMVP(対西鉄で中日の4勝3敗で、杉下は3勝1敗の活躍)に輝く 日本シリーズ第7戦は、さすがに日本一がかかっており、フォークボールを多投し、勝利したという 金田と杉下の投げ合いは、1950年代のプロ野球の名勝負だったが、1955年5月10日に杉下はノーヒットノーランを達成しているが、四球1で、その四球は相手投手の金田だった (ちなみに、その金田は,1967年8月21日の中日戦で完全試合を達成している) 1957年の通算200勝を達成しているが、名球会に「昭和生まれ以降」の通算200勝、通算2000安打達成者が対象のため、杉下は名球会には入っていない・ 1958年に事実上引退 引退後は、投手コーチ、監督、解説者などを務めた |
■ネットビジネス研究 □お小遣いサイト お財布.com □アフィリエイト おすすめレンタルサーバーとホームページ作成ソフト おすすめASP ■ホームページ制作 |
杉下茂 |