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サンデーサイレンス
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■サンデーサイレンス■米2冠とブリーダーズカップ・クラシックを勝った名馬で日本で革命的成功をした大種牡馬

サンデーサイレンス(Sunday Silence)、牡、青鹿毛、アメリカ生産、アメリカ調教
生没年月日・1986年3月25日年4月6日−2002年8月19日
父ヘイロー 母ウィッシングウェル
生産者・オーククリフ・サラブレッズ  馬主・アーネスト・ゲイラード&アーサー・ハンコック3世、チャーリー・ウィッティンガム、吉田善哉他
調教師・チャーリー・ウィッティンガム  主戦騎手・パット・ヴァレンズエラ
競走成績・14戦9勝(9−5−0−0) 主な勝利・ケンタッキーダービー、プリークネスS、ブリーダーズCクラシック
■コメント
サンデーサイレンスは1986年にアメリカで生まれアメリカで調教された馬です。

現役時代はアメリカ2冠(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス)とブリーダーズカップクラシックに勝ち1989年のアメリカの年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選出された名(競走)馬で、現役引退後に日本に輸入され種牡馬となり、革命的大成功をしました。
幼少期は見栄えのしない馬体やほとんど活躍馬のいない貧弱な牝系、数奇で過酷な運命(数々の不運や生命に関わる事態)を乗り越え、競走馬や種牡馬としての大成功した生涯は奇跡的でドラマチックで童話「みにくいアヒルの子」に例えられます。

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サンデーサイレンスはアメリカの(オーククリフサラブレッズ&)ストーンファームに誕生しました。



サンデーサイレンスの血統は、父へイロー母ウィッシングウェル(父アンダースタンディング)です。

父のへイローはアメリカのリーディグサイヤーになったこともある名種牡馬ですが気性の激しい「狂気の馬」として知られ、母のウィッシングウェルも気性の悪い馬でした。

サンデーサイレンスは、非常に気性の激しい馬として知られていますが、この気性は両親譲りの血統からかもしれません。

母のウィッシングウェルは、現役時代に12勝(うち重賞2勝)していますが、母系を遡っても活躍馬がほとんどなく5代母まで未勝利か未出走で、8代母のシンナは英1000ギニーの勝ち馬、10代母は英牝馬3冠のラフレッシュでありますが、サラブレッドは選抜交配の歴史などからここまで遡れば多かれ少なかれ名馬に突き当たり、逆にいうと「ここまで遡らなければ名馬に当たらないことがめずらしいこと」ともいえます。
母の父のアンダースタンディングは、タフ(87戦の戦績)でしたが、ほとんど種牡馬としての実績がなく、さらに前述のような貧弱な牝系(母系)がサンデーサイレンスが種牡馬入りした際、父がアメリカのリーディングサイヤーのヘイローながら、血統面で高く評価されなかった理由です。


幼少期のサンデーサイレンスの馬体は非常に貧弱で、脚も湾曲していました。
ストーンファームの経営者のアーサー・ハンコック3世やテッド・キーファー氏(サンデーサイレンスの母であるウィッシングウェルの実質的所有者だったトム・ティザム氏のアドバイザー)もサンデーサイレンスの馬体を酷評しています。

また気性が激しく、扱いの難しい馬でもありました。

1987年にサンデーサイレンスは、アメリカのキーランドのセリに出品されますが、貧弱な母系(ファミリーライン)と馬体のサンデーサイレンスは、一定水準以上の血統および馬体をもつと判断された馬が出品される部門のセレクトセールへの出品は許可されず、一般部門に出品されました。

このセリでサンデーサイレンスについた値に安すぎると感じたハンコック氏はサンデーサイレンスを買い戻しました。
(ついた値は1万ドルで、買い戻した値は1万7000ドルといわれています)

ハンコック氏はサンデーサイレンスを買い戻したことをトム・ティザム氏(前述のようにサンデーサイレンスの母であるウィッシングウェルの実質的所有者)に報告し、買い取ってもらおうとしましたが、ティザム氏は所有する意思がないと答えたそうです。
(この意思はテッド・キーファー氏のアドバイスだそうです)

ハンコック氏はそのためそのままサンデーサイレンスを所有することになったようです。

1983年にサンデーサイレンスはカリフォルニア州のトレーニングセールに出品されますが希望価格に届かず、ふたたびハンコック氏に買い戻されています。
(希望価格は5万ドル、買い戻した価格は3万2千ドルといわれています)
さらにハンコック氏は複数の競馬関係者に購入の打診をしましたが、ことごとく断られたそうです。

ハンコック氏はサンデーサイレンスをキーランドのセリで買い戻したあと、同馬を友人のポール・サリバン氏と半分ずつの持分で共有しました。

その後、サリバン氏はカリフォルニア州のトレーニングセールで買い戻した時期に所有する競走馬の調教費用を相殺する形でアメリカの調教師のチャーリー・ウィッティンガム氏に持ち分を売却し、ウィッティンガム氏はそのうちの半分を友人の医師のアーネスト・ゲイラード氏に売却したそうです。
(なお、後日談としてサンデーサイレンスが活躍を見せ始めるとハンコック氏のもとには持ち分を購入したいとの申し込みが相次いだが、ハンコック氏は売却しなかったそうです)



・サンデーサイレンスは当歳時(1986年11月)に悪性のウイルスに感染し、数日にわたってひどい下痢を起こして生死の境をさまよったそうです。

・カリフォルニア州のセリの帰り道ではトラックの運転手が心臓発作を起こし馬運者が横転する事故に遭い、競走能力こそ失わなかったもののしばらくまっすぐ歩けなくなるほどの重傷を負ったそうです。
このとき馬運車に乗っていたサンデーサイレンス以外の競走馬はすべて死亡したそうです。

驚くべき奇跡の生命力や強運といえるかもしれません。



サンデーサイレンスは自身の所有権を持つチャーリー・ウィッテインガム調教師に管理されました。

調教でサンデーサイレンスの能力の高さに驚いたウィッテインガム調教師は、そのことを電話でハンコック氏に報告し、ハンコック氏も驚いたそうです。

1988年10月にアメリカのサンタアニタの未勝利でデビューしました。

デビュー戦は2着でしたが、2戦目の未勝利で10馬身差の快勝をしました。

続いて3戦目の一般競走で2着、さらに続く一般競走でした。

1988年は3戦(1勝2着2回)で終了します。


1989年は、重賞のサンフェリペステークスでスタートしこのレースに優勝し、サンデーサイレンスはクラシックの有力候補とされます。

続いてのサンタアニタダービーで11馬身差の快勝をします。

そしてアメリカのクラシック第1弾のケンタッキーダービーに臨みます。

ケンタッキーダービーは、雨で馬場が悪化しましたが、ライバルといわれたイージーゴアとの対決を制します。

レースはサンデーサイレンスがイージーゴアに1馬身1/2差をつけて優勝します。

さらにアメリカのクラシック第2弾のプリークネスステークスに臨みます。

プリークネスステークスへは脚部不安(打撲による跨行とされる)もありましたが、サンデーサイレンスがレースで猛烈に追い込み先行するイージーゴアとの競り合いの末、イージーゴアにハナ差で勝利し、アメリカの2冠馬となりました。

このプリークネスステークスは、アメリカの競馬専門誌の読者アンケートで年間ベストレースに選出されます。

さらに続いてはアメリカのクラシック第3弾のベルモントステークスです。

アメリカ3冠を目指したサンデーサイレンスですが、レースではイージーゴアの8馬身差の2着でした。

アメリカ3冠はなりませんでしたね。

続いてスワップスステークスに出たサンデーサイレンスは2着に敗れます。

続いてスーパーダービーに出走したサンデーサイレンスは6馬身差で快勝します。

さらにアメリカ競馬の祭典といわれるブリーダーズカップシリーズのメインであるブリーダーズカップ・クラシックを目指します。

ブリーダーズカップ・クラシックの1週間前にサンデーサイレンスの主戦騎手だったパット・ヴァレンズエラ騎手に対し薬物疑惑が出て、クリス・マッキャロン騎手への変更のアクシデントがありました。

このブリーダーズ・カップクラシックは、ライバルのイージーゴアもベルモントステークスのあと連勝で出走しており、「10年に1度の大一番」とも「世紀の対決」と呼ぶ人も・・・

サンデーサイレンスとイージーゴアは「アファームドアリダーの対決の再来」とも「競馬史上最高のライバル」関係ともいわれました。

レースはサンデーサイレンスがイージーゴアにクビ差をつけて優勝します。

この年はこのレースでサンデーサイレンスは終了します。

サンデーサイレンスはこの年のアメリカの年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選出されます。


1990年に古馬となったサンデーサイレンスは故障もあって6月のカリフォルニアンステークスに出走します。

レースでは今後重い斤量のハンデを背負わぬように少差の3/4馬身差で勝利しています。
(なお、騎乗騎手ハヴァレンズエラ騎手です。ブリーダーズカップクラシックの勝利後に、騎乗したマッキャロン騎手の騎乗で引き続き行くつもりでしたが、この後マッキャロン騎手が落馬で負傷し、これによりふたたびヴァレンズエラ騎手がサンデーサイレンスの主戦騎手となりました。)

続いてサンデーサイレンスはハリウッドゴールドカップに出走します。

レースでは2着に敗れます。

敗因は勝ち馬より5ポンド重いハンデとも鞭の入れ過ぎともいわれます。

その後サンデーサイレンスは、イージーゴアとの対決を意図し企画された特別招待レース(アーリントンチャレンジカップ、8月4日開催予定)を目指します。

7月半ばにイージーゴアが脚部の骨折により競走馬を引退し、両馬の対決が不可能になっても出走予定は変更されませんでしたが、レース直前に靭帯の断裂による脚部不安でサンデーサイレンスの陣営は引退を決断しました。



競走馬を引退したサンデーサイレンスは、ハンコック氏が総額1000万ドル(25万ドル×40株)のシンジケートを組み、アメリカで種牡馬となる予定だったそうです。

しかし貧弱な母系(ファミリーライン)に対する評価などから種牡馬としての評価が低く、株の購入希望者は3人にとどまり、種付けの申し込みを行った生産者はわずか3人でした。

そんな中で、1990年はじめにハンコック氏からサンデーサイレンスの持ち分の半分(全体の1/4)を買い取った日本の競走馬生産者の吉田善哉氏(当時の社台ファームの総帥、現在の社台グループの礎を築いた)がサンデーサイレンスの購入を打診したそうです。

当時ハンコック氏は負債を抱えるなど経済的事情で、「他に道はない」と判断し、サンデーサイレンスを売却することになったそうです。

サンデーサイレンスの購入金額は1100万ドル(当時のレートで約16億5000万円)だったそうです。

サンデーサイレンスの購入にあたっては、(吉田)善哉氏とウィッテインガム氏、吉田照哉氏(吉田善哉氏の長男)とハンコック氏との間の交友関係が大きく作用したといわれています。

(吉田)善哉氏とウィッテインガム氏はもちろんいうまでもなく旧知の間でした。

(吉田)照哉氏は、クレーボーンファーム(アーサー・ハンコック3世の父はクレイボーンファームの経営者)に隣接するフォンテンブローファームの場長を務めたことがあり、その縁でハンコック氏とは親しい間柄でした。

しかしながら、この取引は、日本のブリーダーがとても成功しない母系の馬を買っていったと笑いものになりました。

一方で欧米のスーパーホースが、いきなり日本で種牡馬になることはありえないとの衝撃もありました。

当時は成功もおぼつかないと思われていた貧弱な母系を持っていたサンデーサイレンスの成功は、(吉田)善哉氏のサンデーサイレンスの購入への執念がもたらしました。

サンデーサイレンスの日本での種牡馬としての革命的大成功をもたらしましたが、購入に尽力した(吉田)善哉氏でさえ、サンデーサイレンスの日本での種牡馬としての革命的大成功は想像以上だったかもしれません。

(吉田)善哉氏は、サンデーサイレンスがもたらした現在の社台グループの繁栄やサンデーサイレンスの産駒がデビーし、生産界に革命的成功をもたらすのを見られませんでした。

サンデーサイレンスの産駒のデビューを見ることなく、(吉田)善哉氏は1993年8月に亡くなっています。

(吉田)善哉氏に購入されたサンデーサイレンスは、日本へ輸入され、1991年から社台スタリオンステーションで種牡馬となりました。

種牡馬として、総額25億円(4150万円×60株)のシンジケートが組まれましたが、シンジケートは満口になったものの、当初サンデーサイレンスへの評価はさほど高くなく、種付料が1100万円と高かったこともあり、期待されたほどの交配申し込みはありませんでした。

購入した社台ファームでは最高の繁殖牝馬を交配させたそうです。

産駒が生まれても関係者の評価は高くなかったようです。

しかし初年度産駒がデビューすると、社台ファーム関係者の予想以上の活躍をします。

初年度からサンデーサイレンスは快進撃を続けます。

サンデーサイレンスは、初年度産駒からジュニュイン(皐月賞)、タヤスツヨシ(日本ダービー)、ダンスパートナー(オークス)の3頭のクラシック勝ち馬を出します。

初年度産駒がデビューした翌年の1995年にリーディグサイヤーとなると、2007年まで13年連続(!)リーディグサイヤーに君臨します。
(2世代の産駒だけでリーディングサイヤーとなるのは中央競馬史上初です)

その後もサンデーサイレンスは中央競馬における種牡馬の記録を次々と塗り替えました。

産駒のうち、多くのクラシック勝ち馬、GTクラス勝ち馬を出します。

その産駒のうちに、ディープインパクトスティルフィンラブが中央競馬の3冠馬となっていますが、3冠馬を2頭、それも牡牝双方で輩出した種牡馬はサンデーサイレンスのみです。

産駒やサンデーサイレンス系の多くは高額で取引されます。

産駒やサンデーサイレンス系は、日本国外でも活躍し、種付シーズンの異なる南半球でも産駒が活躍し、海外のホースマンにも注目されています。

産駒の大レース勝ち馬は数多いですが、主な産駒はディープインパクト(3冠=皐月賞・日本ダービー・菊花賞、ジャパンカップ、天皇賞・春、有馬記念、宝塚記念)、スティルインラブ(牝馬3冠=桜花賞・オークス・秋華賞)、スペシャルウィーク(日本ダービー、ジャパンカップ、天皇賞・春、天皇賞・秋)、秋古馬3冠(天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念)のゼンノロブロイ.、ネオユニヴァース(皐月賞、日本ダービー)など

日本ではGTクラスの大レースは未勝利でも種牡馬として成功しているステイゴールド(国内のGTクラスの大レースは未勝利でも引退レースで海外で香港のG1の香港ヴァーズ勝利、3冠馬・オルフェーヴルなどの父)などの例もあり、サンデーサイレンス産駒やサンデーサイレンス系、サンデーサイレンスの血を引く馬は注目です。



ブリードメアサイヤーとしてのサンデーサイレンスも遺伝力や影響力、気性の激しさ、勝負根性、スピード、切れ味、しなやかな柔らかい馬体などを伝えているといわれ、ブルードメアサイヤーとしても成功しています。

20006年からリーディングブルードメアサイヤーに君臨しつづけています。(2011年終了現在)



サンデーサイレンスの種牡馬としての成功は多くの大種牡馬にも共通する繁殖牝馬や母系のよさを引き出す「万能性」や自身の長所(勝負根性、スピード、切れ味、しなやかな柔らかい馬体など)を遺伝させる影響力の強さからといわれています。、

人気種牡馬の年間交配頭数が100頭を超えるようになったのは、サンデーサイレンスの大成功と豊富な年間交配頭数によるものです。

前述のように非常に気性の荒いサンデーサイレンスでしたが、なぜかメジロマックイーンがそばにいるとおとなしく、サンデーサイレンスとメジロマックイーンの放牧地は隣でした。

気性の激しさが勝負根性や精神的強さにつながっているともいわれています。

サンデーサイレンスはスムーズにコーナーを曲がり加速できる器用な馬だといわれています。

馬体は悪く、サンデーサイレンスの活躍は一種の突然変異といわれています。

サンデーサイレンスやサイレンス系は、イギリスなどのように「自然を利用し作られた競馬場」より、日本などのように「人工的に作られた競馬場」に強いといわれます。

種牡馬としてサンデーサイレンスの大成功やサンデーサイレンス系の成功は、日本がサンデーサイレンスの血で溢れる心配(血の飽和など)もされています。

中央競馬のレース体系の変化(高速化、スピード競馬化)などが、サンデーサイレンスに有利に作用し、「時代」も味方にしたといわれます。

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■競走成績
開催日 開催国 競馬場
レース名

距離


頭数
人気
着順
斤量
着差

騎手
タイム

1着(2着)


1988.10.30 米 サンタアニア
未勝利

D6.5F


12



クビ

P・ヴァレンズエラ


Caro Love


1988.11.13 米 ハリウッドパーク
未勝利

D6F


10



10

P・ヴァレンズエラ
1.09.4

(Moment of Time)


1988.12.3 米 ハリウッドパーク
一般競走

D6.5F






アタマ

A・グライダー


Houston


1989.3.2 米 サンタアニタ
一般競走

D6.5F






4・1/2

P.ヴァレンズエラ
1.15.4

(Heroic Type)


1989.3.19 米 サンタアニタ
サンフェリペS

D8.5F
GU





1・3/4

P.ヴァレンズエア
1.42.6

(Flying Continental)


1989.4.8 米 サンタアニタ
サンタアニタダービー

D9F
GT





11

P・ヴァレンズエラ
1.47.6

(Flying Continental)


1989.5.6 米 チャーチルダウンズ
ケンタッキーダービー

D10F
GT

15


126p
2・1/2

P・ヴァレンズエラ
2.05.0

(Easy Goer)


1989.5.20 米 ピムリコ
プリークネスS

D9.5F
GT




126p
ハナ

P・ヴァレンズエラ
1.53.8

(Easy Goer)


1989.6.10 米 ベルモントパーク
ベルモントS


D12F
GT

10


126p


P・ヴァレンズエラ


Easy Goer


1989.7.23 米 ハリウッドパーク
スワップスS

D10F
GT





3/4

P・ヴァレンズエラ


Prized


1989.9.24 米 ルイジアナダウンズ
スーパーダービー

D10F
GT





6+アタマ

P・ヴァレンズエラ
2.03.2

(Awe Inspiring)


1989.11.4 米 ガルフストリーム
ブリーダーズCクラシック

D10F
GT




122p
クビ

C・マッキャロン
2.00.2R

Easy Goer


1990.6.3 米  ハリウッドパーク
カリフォルニアンS

D9F
GT





3/4

P.ヴァレンズエラ
1.48.0

(Stylish Winner)


1990.6.24 米 ハリウッドパーク
ハリウッド金杯

D10F
GT





アタマ

P.ヴァレンズエラ


Criminal Type


■5代血統図
Mahmoud4×5、Blue Larkspur5×5
Halo
アメリカ
1969 黒鹿毛
Hail to Reason

1954 黒鹿毛
Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Dark
Lavendula
Nothirdchance Blue Swords Blue Larkspur
Flaming Swords
Galla Colors Sir GallahadV
Rouge et Noi
Cosmah
アメリカ
1953 鹿毛
Cosmic Bomb Pharamond Phalaris
Selene
Banish Fear Blue Larkspur
Herodiade
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose
Wishing Well
アメリカ
1975 鹿毛
Understanding
アメリカ
1963 栗毛
Promised Land Palestinian Sun Again
Dolly Whisk
Mahmoudess Mahmoud
Forever Yours
Pretty Ways Stymie Equestrian
Stop Watch
Pretty Jo Bull Lea
Fib
Mountain Flower
アメリカ
1964 鹿毛
Montparnasse Gulf Stream Hyperion
Tide−way
Mignon Fox Club
Mi Condesa
Edel Weiss Hillary Khaled
Snow Bunny
Dowager Free France
Marcellina

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