山本浩二 |
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■山本浩二■野球選手■ミスター赤ヘル 右投右打 身長183センチ、体重82キロ 1946年10月25日− 山本浩二(やまもと・こうじ)は、「ミスター赤ヘル」といわれ、現役引退後に2度広島監督を務めた 大卒で500本塁打を達成した唯一の人物 本名及び旧登録名は山本浩司(読みは同じ) ■履歴 ▼プロ入り前 1946年に広島で生まれる 父は軍人、母と兄二人は、原爆を被爆 本人も被爆2世 16歳の時、野球では無名の広島県立廿日市高校進学 入学入部と同時にエースで4番 3年夏に、県予選の準決勝敗退 法大文学部英文科に進学 進学後、投手として野球部に入部も、一部員の立場に甘んじる 2年生で、クリーンアップに抜擢され、やがて田淵幸一、富田勝とともに、「法大三羽烏」といわれ、法大黄金時代を築く 在学中3度のリーグ優勝で、1968年の全日本大学野球選手権に優勝 リーグ通算65試合出場、229打数67安打、打率2割9分3厘、8本塁打、30打点で2度ベストナイン 1968年のドラフト1位で広島に入団 ▼プロ 1年目の1969年の開幕からスタメンで出場し、徐々に成長 1974年に登録名を「山本浩司」から「山本浩二」に改名 1975年のオールスターゲーム第1戦では、セ・リーグで、3番・山本浩二、4番・王貞治、5番・田淵幸一でクリーンアップ 6番・衣笠祉雄と2打席連続アベック本塁打 同年は首位打者獲得で、チームもリーグ優勝 赤ヘル旋風で、山本もミスター赤ヘルと呼ばれる この年は、打率3割1分9厘(首位打者)、30本塁打、84打点、24盗塁でMVP 1977年から5年連続40本塁打以上 1978年に44本塁打で、球団初の本塁打王 1979年に113打点で打点王 1980年・1981年と2年連続で、本塁打王・打点王の打撃2冠(44・112、43・103)・・・ 1980年に2度目のMVP 1983年に本塁打王(36) 1986年のリーグ優勝を最後に現役引退 大卒で通算536本塁打は日本最多 大卒の500本塁打到達も唯一 ▼現役引退後 現役引退後、1987年・1988年が解説者、評論家 1989年から広島監督 リーグ2位、リーグ2位で、1991年にリーグ優勝するも日本シリーズで西武に敗れる 1992年は4位 1993年に最下位で辞任 1994年から2000年まで解説者 2001年から広島監督 在任中1度もAクラスになることなく、2005年に成績不振(12年ぶり最下位)で辞任 2006年から解説者 2007年に、北京五輪で星野仙一監督の元で、守備・走塁コーチ 結果は4位 2008年に野球殿堂入り(日本) 2010年に、名球会副会長 2012年10月10日に、日本代表監督就任 2013年に開催された第3回WBCの準決勝でプエルトリコに敗れ、優勝を逃す ■特徴 現役時代は、「読みのコージ」といわれるほど、投手の配球を読むのが上手く、外野の守備も上手く、強肩だった ■交友関係・・・ 田淵幸一、星野仙一と仲がいい 打撃成績・・・ 18年、2284試合、8052打数2339安打、打率2割9分0厘、536本塁打、1475打点、231盗塁 MVP2回、首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回 最多出塁数3回 ベストナイン10回 ダイヤモンドグラブ賞10回 オールスターゲームMVP2回 野球殿堂入り(日本)(2008年) 広島カープの血脈 山本浩二と野村謙二郎の監督経験者が語る赤ヘル軍団の秘密 監督成績・・・ 10年、1358試合、648勝681敗29分、勝率4割8分8厘 リーグ優勝1回 |
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