米田哲也 |
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■米田哲也■野球選手■350勝投手 右投右打 身長180センチ、体重87キロ 1938年3月3日− 米田哲也(よねだ・てつや)は、日本プロ野球史上歴代2位の350勝を挙げた投手です 歴代2位(達成当時は歴代1位)の949試合に登板し、その驚異的スタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」「タフマン」などと呼ばれました 通算先発626試合登板、通算1940失点、通算1059自責点、通算120与敬遠、通算4561被安打は、プロ野球記録 ■履歴 ▼プロ入り前 中学では、陸上の走高跳の選手 堺高に進学し、元々捕手だったが、投手転向 高校では、カーブ、シュート、スライダーも習得していたが、甲子園には出られず しかし、米田の投球も評判に ▼プロ 大学進学も考えたが、1956年に阪急に入団 阪神とも接触したが、コミッショナー裁定で。阪急へ 投球だけでなく、打撃にも自信があり、通算33本塁打は、投手として金田正一に次ぐ歴代2位 また、投手として唯一の満塁本塁打とサヨナラ本塁打の両方を記録・・・ プロ入り4打席目に満塁本塁打を放っており、これは1983年の巨人・駒田徳広が初打席満塁本塁打を打つまでの最短記録 1年目から9勝し、2年目に21勝を挙げ、以後エースとして活躍 1961年オフに、巨人・王貞治とのトレード話が出るが、阪急側がこれを拒否 プロ10年目の1965年にも巨人とのトレード話が出るが、これも不成立 1966年に25勝で最多勝 同年に200勝達成 20勝以上8回、歴代最長の19年連続2桁勝利のタフネスぶりから「ガソリンタンク」「人間機関車」と形容された なお、「ガソリンタンク」は、酒をいくらでも飲むことからも 1967年に、18勝を挙げ、球団のリーグ優勝に貢献 1968年は、自己最多の29勝を挙げ、MVP 1969年もリーグ3連覇にっ貢献する 1971年に、史上5人目の300勝達成 しかし、1975年のシーズン途中で、阪神移籍 1976年限りで、1977年にコーチ兼任で近鉄移籍 プロ野球2人目の350勝達成 この年に現役引退 前述のように、タフに投げたが、演繹22年間で肩や肘の故障がはとんどなかった ▼現役引退後 引退後はスナックを経営する傍ら、解説者、コーチを務めたりした コーチでは、1985年の阪神の日本一に貢献 その後も解説者、評論家、コーチなどで活躍 2000年に野球殿堂入り(日本) 投手成績・・・ 22年、949試合登板、350勝285敗2セーブ、防御率2.91 MVP1回 再優勝防御率1回、最多勝1回、奪三振王1回(当時は表彰なし) 野球殿堂入り(日本)(2000年) 米田哲也ー嵐を呼ぶダンプ投法 現役22年間をタフに投げた米田哲也の軌跡 |
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