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秋山登
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■秋山登■野球選手■速球とシュートが武器の下手投げ

右投右打

身長177センチ、体重73キロ

1934年2月3日−2000年8月12日


秋山登(あきやま・のぼる)は、選手、コーチ、監督で大洋一筋

土井淳と約18年のバッテリー

日本プロ野球史上稀な「横手投げ・下手投げの速球投手」

ただし、杉浦忠、大友工とは、タイプが違い、その2人が「手首を立てたサイドスロー」で、速球とカーブ、スライダーを武器にしたのに対し、秋山は「手首を寝かせたアンダースロー」で、速球と「カミソリ」といわれたシュートを武器とした


■履歴
▼プロ入り前
岡山東高では、高校、大学、プロを通じて同期の土井淳とバッテリーを組む

1951年夏の甲子園に出場し、1回戦で中西太のいる高松第一高に敗退

卒業後、明大進学

東京六大学リーグでは、3度の優勝

▼プロ
1956年に土井淳とともに、大洋に入団

1年目に25勝を挙げ新人王

以降、エースとして活躍し、9年連続2桁勝利

一方で、入団の年から4年連続リーグ最多敗戦のプロ野球記録

入団から9年連続50試合登板は、当時のプロ野球記録

1960年は、21勝10敗、防御率1.75でリーグ優勝で、セ・リーグMVP

日本シリーズでも4試合全てに登板し、16回1/3で1失点の防御率0.53で日本一に貢献

1962年は72試合に登板し、自己最多の30勝

同年の9月25日・26日に、2リーグ以降唯一の2日連続完封

ダブルヘッダーで1日2勝も通算5回でプロ野球記録

1963年から投手コーチ兼任

1964年が21勝

1965年以降は、長年の酷使がたたり成績が落ち込み

1967年で200勝目前に現役引退

▼現役引退後
引退後は、1軍投手コーチ、ヘッドコーチ、監督、二軍監督を歴任

退団後は、解説者の一方でOB会長として、大洋・横浜を支えた

2000年8月12日死去、66歳没。

2004年に野球殿堂入り(日本)

■特記事項
大洋一筋で通算193勝

大洋は、万年最下位の弱小チーム

それに、その弱小チームで、連投、フル回転で活躍

秋山の193勝は、強い球団で200勝を挙げた投手より価値があるとも

土井淳とは、高校、大学、プロと約18年間バッテリーを組み続けた

後の平松政次は「カミソリシュート」でエースとして活躍したが、秋山は、平松の前に「カミソリシュート」といわれており、ある意味、平松は、秋山の後継者



投手成績・・・
12年、639試合、193勝171敗、防御率2.60

MVP1回、新人王(1956年)
最優秀防御率1回、最高勝率1回、奪三振王1回(当時は表彰なし)
ベストナイン1回
野球殿堂入り(日本)(2004年)


大洋ホエールズ川崎慕情(ベースボールマガジン別冊新緑号)
大洋ホエールズ特集


監督成績・・・
2年、96勝147敗17分、勝率3割9分5厘



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