バッキー |
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■バッキー■野球選手■外国人初の沢村賞 右投右打 身長191センチ、体重91キロ 1937年8月12日−2019年9月14日 バッキーは、ジーン・マーティン・バッキーで、通称ジーン・バッキー 阪神のエースで活躍 外国人初の沢村(栄治)賞受賞(1964年) この年は、29勝9敗・防御率1.89で、最優秀防御率と最多勝のタイトルを獲得し、この年の阪神のセ・リーグ優勝に貢献 日本で通算100勝 1965年には、ノーヒットノーラン達成 ■特徴 1968年9月18日の巨人戦で四回に王貞治への危険球をめぐっての乱闘で、巨人の荒川博コーチとの殴り合いで骨折した バッキーと荒川は退場し、バッキーから交代した権藤正利が王の頭部へ死球をぶつけてしまい、王が担架で運ばれ、乱闘に参加しなかった長嶋茂雄が権藤のカーブをホームラン さらに八回にもホームランで決着をつけた この試合を見ていた格闘家の前田日明は、野球にあまり興味がなかったが、このシーンを強烈に覚えているという この乱闘の骨折でバッキーは、その後勝てず、1969年に近鉄に移籍し、その年に現役引退した ■履歴 ▼来日前 バッキーは、アメリカ合衆国で生まれ、ルイジアナ大を卒業し、マイナー・リーグの3Aに在籍時、阪神の入団テストで合格 ▼日本プロ野球 1962年途中から阪神入団 1962年・0勝、1963年・8勝 3年目の1964年に前述の活躍 1965年6月28日の巨人戦でにノーヒットノーラン達成 5年連続2桁勝利を続けたが、最後の2桁勝利の1968年に、前述の乱闘・骨折で、1969年に近鉄に移籍、その年現役引退 ▼現役引退後 引退後は、中学・高校の教師を27年間つとめ、その後牧場経営 2011年に妻を亡くしてから、牧場を息子に任せ、引退生活 日本にも何度か来日した 現役引退後も日本球界のことを気にかけていた 2019年9月14日死去、82歳没 投手成績・・・ 8年、251試合登板、100勝80敗、勝率5割6分6厘、防御率2.34 最優秀防御率1回、最多勝1回 沢村賞1回 ベストナイン1回 ノーヒットノーラン1回 |
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