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鈴木啓示 |
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■鈴木啓示■野球選手■草魂の317勝 左投左打 身長181センチ、体重86キロ 1947年9月28日− 鈴木啓示(すずき・けいし)は、通算無四球試合78と通算被本塁打560本のプロ野球記録を持ち、通算317勝は、歴代4位(左投手では金田正一に次ぐ歴代2位) 座右の銘は、「草魂」 ■履歴 ▼プロ入り前 元々は右利き 骨折した際、父親の意向で左利きに矯正 育英高では、1964年、2年の時に、夏の甲子園兵庫県予選決勝で敗退 しかし、同年の秋季近畿大会で優勝し、翌1965年の春の甲子園に出場 甲子園では2回戦敗退 同年の夏の甲子園は、県予選決勝で敗退 ▼プロ 1965年秋のドラフト会議で、近鉄にドラフト2位指名され、入団 新人の年にオールスターに出場 金田正一にカーブを習おうとするも「教えてほしけば、銭もってこい」といわれ、敵愾心を燃やすように・・・ 金田がロッテの監督だった時は、ロッテ戦26勝8敗 1年目10勝 以後15年連続2桁勝利、5年連続20勝以上、6年連続奪三振王 1969年は、最多勝 1975年が最高勝率 1976年から3年連続20勝以上、1977・1978年が最多勝、1978年が最優秀防御率と奪三振王で、パ・リーグを代表するエースに 1968年8月8日の東映戦と1971年9月9日の西鉄戦で2回のノーヒットノーラン 1974年に、監督に就任した西本幸雄の指導で、力任せの速球主体から制球・配球を重視する頭脳的な投球に 1977年に200勝、1984年に300勝達成 ローテーション、投手分業制の整備で鈴木が最後の300勝投手になるかもしれない 近鉄は、日本一に縁がなく、鈴木も当然日本一になっていない 1981年に、5勝で1桁勝利に落ち込むが、1982年から3年連続2桁勝利 1985年に、5勝で再び1桁勝利でこの年現役引退 鈴木が本格的な最後の完投型投手になるかもしれない ▼現役引退後 解説者・評論家を経て、1993年から1995年途中まで近鉄の監督 監督の評価は芳しくなく、自己の考えを押し付けるイメージ 方針:考えの違いで、立花龍司コンディションコーチと意見が対立 立花の退団で、立花を信頼していた野茂英雄らも反発 野茂の大リーグ挑戦には、鈴木との対立、球団不信などもあった 鈴木は、監督辞任後、自分の考えを押し付けた点などを認める発言も ▼監督退任後 2002年に、野球殿堂入り(日本) 2008年7月には、監督時代に確執のあった野茂英雄の現役引退に際し、野茂を認める発言も 現在は、解説者・評論家 ■特徴 草魂(そうこん)が座右の銘 雑草のようにたくましくということらしい トレーニングは、金田正一のように、走り込み、下半身強化を重視した また、西本幸雄からは、力だけでない投球術を教わった 当時の近鉄には、有田修三と梨田昌孝という力の拮抗した捕手が二人いたが、鈴木との相性で有田とバッテリーを組むことが多かった 野村克也によれば、鈴木は、自分の考えに自信を持ち、打者との駆け引き考えない金田正一のようなタイプだという 他に、打者の心理状態・駆け引きで配球を考える稲尾和久のようなタイプがいるらしい 鈴木のようなタイプは、自己中心になりがちで、監督・コーチなどで欠点となることも 同時期に活躍した山田久志、村田兆治、東尾修らとともに、パ・リーグを代表する投手 投手成績・・・ 20年、703試合登板、317勝238敗2セーブ、防御率3.11 最優秀防御率1回、最高勝率1回、最多勝3回、奪三振王8回(当時は表彰なし) ベストナイン3回 野球殿堂入り(日本)(2002年) 鈴木啓示(名球会comics) 317勝の鈴木啓示の栄光の軌跡 監督成績・・・ 3年、390試合、183勝196敗11分、勝率4割6分9厘 |
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杉浦忠 |