高木守道 |
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■高木守道■野球選手■2代目ミスタードラゴンズ 右投右打 身長174センチ、体重72キロ 1941年7月17日−2020年1月17日 高木守道(たかぎ・もりみち)は、現役時代はプロ野球・中日で活躍 現役引退後は、コーチや2度の監督、中日OB会会長などを歴任 2代目「ミスタードラゴンズ」と呼ばれることも ■履歴 ▼プロ入り前 1957年、県立岐阜商に進学 当初は遊撃手だったが、肩を痛め、二塁手に転向 この年、長嶋茂雄(当時、立大4年)のコーチを受け、長嶋は高木の才能を見抜き、高木をレギュラーで使うよう進言 その結果、高木はレギュラーでチームの中心に この年の夏の甲子園に出場するも、準々決勝敗退・ 1959年の春の甲子園で、準優勝(優勝は中京商) 同年夏は、県予選決勝敗退 同年夏終了後もプロの誘いはなく、OBを通じて早大に進学する予定だったが、地元・中日から急遽オファーがあり、入団 ▼プロ 1960年に中日に入団 同年5月7日の大洋戦で、代走で初出場初盗塁を決め、この試合でプロ初打席初本塁打 1963年から二塁手のレギュラーとなり、規定打席にも到達(打撃成績19位、打率2割5分4厘) 同年は50盗塁で盗塁王も獲得 以後、江藤槙一などともに中日のスター選手に 1965年、1973年に盗塁王 俊足に加え、1969年に24本塁打を記録するなど通算236本塁打を記録した打撃やバックトス、グラブトスなどの守備も披露 打率3割を2度(1965年・3割0分2厘・4位、1966年・3割0分6厘・6位)記録 1968年5月28日の巨人戦で死球を受け、一時「意識不明」 その影響でバッテングフォームを崩し長期にわたり打率が低迷するが、徐々に打力も復活し、1974年にはリーグ優勝に貢献 初打席初本塁打を記録した選手で、通算200本塁打・通算2000安打を記録したのは高木が初 通算200本塁打・通算200犠打を併せて記録したのも高木が初 1974年、優勝決定の翌日の10月13日に予定されていた後楽園球場の対巨人戦シーズン最終戦ダブルヘッダーは、長嶋茂雄の現役引退試合は、降雨で14日に順延で、中日の優勝パレードと日程が重なった そのため、準レギュラークラスのみで試合に臨み、中日のレギュラークラスは、名古屋での優勝パレードのために欠席するよう、球団から言い渡された 高木は、「偉大な選手の引退に、準レギュラークラスで臨むのは失礼」と考え、球団に撤回を意見し、無理なら「せめて自分だけでも参加したい」と訴えたが、聞き入れられず、高木は終始晴れない表情で優勝パレードに参加 高木は、後に電話で謝罪したという (星野仙一も同様に電話で謝罪したようだ) ロッテとの日本シリーズでも活躍したが、シリーズの途中で負傷退場 高木は第6戦で復帰するも、中日は日本シリーズに敗れる しかしシリーズ22打数8安打3打点で、高木は日本シリーズ敢闘賞 1975年に、打率2割9分8厘(4位)を記録 1978年4月5日の広島戦で中日の生え抜き初の通算2000安打 1979年、38歳ながら打率3割(.300)を打つ しかし翌1980年限りで王貞治とともに現役引退 ▼現役引退後 現役引退後は、コーチ、二軍監督、代理監督などを歴任 1987年から解説者となるが、1992年から中日監督 この年は最下位 1993年は後半で一時は首位に立つも結局2位 1994年は、前半で巨人に大差をつけられての2位も、巨人のもたつきもあり、中日が猛烈に追い上げ、最終戦を残し、同率に いわゆる「10.8決戦」だが、この試合に巨人が勝ち、リーグ優勝 1995年は投手陣崩壊、故障者続出で低迷 そのため、成績不振でシーズン途中に解任 当時、たまに打つが三振の多かった山崎武司を起用し続けたが、山崎は、高木解任の翌年の1996年に本塁打王に 1998年から解説者・評論家 2006年に野球殿堂入り(日本) 2007年1月から2012年11月まで中日OB会会長 2012年から再び、中日監督 2012年はレギュラーシーズン2位でクライマックスシリーズ進出 ファーストステージを2勝1敗で突破するも、ファイナルステージで3勝3敗で敗れる (ファイナルステージは相手の巨人に1勝のアドバンテージがあり、3勝4敗) 2013年は、Bクラスに終わり、退任 優勝は、現役時代の1974年とコーチ時代の1982年に経験しているが、いずれも日本シリーズで2勝4敗で敗れている 退任後は不定期の評論活動、少年野球の指導など行った 2020年1月17日死去、78歳没。 ■選手としての特徴 主に投高打低の時代に活躍し、通算236本塁打は、二塁での先発出場率が90%を超えてる選手の中では歴代1位 また、高木は二塁手として、2179試合・11477守備機会・5327刺殺・5866捕殺・284失策・1373併殺を記録し、全て二塁手プロ野球歴代1位 他のポジションを含めた捕殺数は、プロ野球最高記録 高木は、プロ野球歴代ベストナインなどの企画で、プロ野球最高の二塁手として選出されることがある ■性格など 口数が少なく、穏和なイメージがあるが、自分の野球理論などに自信を持っており、これを否定されたりすると、たとえ先輩でも徹底抗戦 怒った時は星野仙一より怖いとも イメージと違い短気な性格なところもあり、「瞬間湯沸かし器」といわれることも 打撃成績・・・ 21年、2282試合、8367打数2274安打、打率2割7分2厘、236本塁打、813打点 盗塁王3回 ベストナイン7回 ダイヤモンドグラブ賞3回 野球殿堂入り(日本)(2006年) プロ魂高木守道ー名二塁手モリミチ物語 プロ野球最高の二塁手といわれることもある高木守道 2代目「ミスタードラゴンズ」と呼ばれることも 監督成績・・・ レギュラーシーズン 7年、787試合、383勝379敗25分、5割0分3厘 ポストシーズン 2012年 中日 RS2位 CS・1ステージ 2勝1敗・Fステージ進出 対ヤクルト(RS3位) CS・Fステージ 3勝3敗 敗退 対巨人(RS1位)(巨人のアドバンテージ1勝で3勝4敗) (注) CSはクライマックスシリーズ RSはレギュラーシーズン 1ステージはファーストステージ Fステージはファイナルステージ |
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