1982年生まれの最強馬 |
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■1982年生まれの最強馬■ ミスターシービー、シンボリルドルフと2年連続3冠馬が誕生した翌年の1982年生まれ、つまり1985年の3歳クラシック戦線は混戦でした。 スクラムダイナ、サクラサニーオー、スダホーク、サクラユタカオー、サザンフィーバーなど・・・ その1982年生まれで最強馬はシンザン最後の傑作・ミホシンザンと後に名種牡馬といわれるモガミの初年度産駒・シリウスシンボリだったと思います。 (もう1頭あげればサクラユタカオーですが・・・) ミホシンザンは3戦3勝で皐月賞に臨み5馬身差の圧勝をしながら骨折をし、シリウスシンボリはまともに走っていれば勝っていたであろう2敗(最後方から追い込んで惜敗、1着入線後失格)のみで若葉賞を勝った後、厩舎の移籍問題などで皐月賞を回避、日本ダービーをぶっつけで挑み3馬身差で完勝しました。 その後、ミホシンザンが日本国内で秋に復活、シリウスシンボリが日本ダービー制覇を手にヨーロッパ遠征に旅立ちました。 ミホシンザンが菊花賞を制し2冠馬となれば、ヨーロッパ遠征で苦戦をしていたシリウスシンボリもロワイヤルオーク賞(GT、3100メートル)という菊花賞と近い条件のレースで3着と好走しました。 ミホシンザンは菊花賞勝利後、1つ年上の皇帝・シンボリルドルフとの有馬記念で2着ながら完敗、年明けの日経賞で2度目の骨折(6着)、秋にジャパンカップで日本馬最先着(3着)するものの勝ちきれず、6戦未勝利、5歳になりAJC杯、日経賞、天皇賞(春)を3連勝し引退しました。 シリウスシンボリはその後もヨーロッパに滞在、4歳秋に凱旋門賞の前哨戦・フォア賞で2着するも凱旋門賞では14着、5歳春まで足掛け3年、14戦しましたがついにヨーロッパでは未勝利、5歳秋に日本に復帰し、6歳秋に毎日王冠で2着に好走しましたが、日本でも6戦して勝てずに引退しました。 両馬の能力がフルに発揮されたのは3歳春までの気がします。 ミホシンザンは骨折の影響で菊花賞制覇、5歳春に天皇賞(春)を含む3連勝しているものの皐月賞を圧勝した時の力がなかった感もあり、シリウスシンボリも長期のヨーロッパ遠征で気性が荒くなり、特に帰国後は日本ダービーまでの能力が発揮されていなかった感があります。 ミホシンザンとシリウスシンボリは結局対戦することはありませんでしたが、彼らのフル能力での世代の最強対決を見たかったですね。 |
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