岩瀬仁紀 |
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■岩瀬仁紀■野球選手■1002試合登板、407セーブ 左投左打 身長181センチ、体重84キロ 1974年11月10日ー 岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)は、抑えを主に中継ぎとしても活躍し、プロ野球記録の通算最多登板・1002試合、通算最多セーブ数の407の記録保持者 ■履歴 ▼プロ入り前 西尾干菓高3年持の1992年夏の甲子園愛知大会2回戦で三好高相手にノーヒットノーラン達成 その後、4回戦敗退で、卒業後、愛知大進学 愛知大学リーグで1年春から外野手でレギュラー 打者としてリーグ通算101試合、384打数124安打、打率3割2分3厘、9本塁打、64打点 1995年春季リーグで1試合3本塁打を記録、外野手としてベストナイン4回受賞 一方、1995年秋季リーグから外野手と兼任で投手として3季で通算15試合に登板し、8勝4敗 当時は、外野手で注目されていた 大学卒業後、社会人野球のNTT東海に入社し、1998年のドラフト会議で中日を逆指名し、2位入団 背番号13 ▼プロ 1年目の1999年にプロ初登板、この年は継投の一角で最優秀中継ぎ投手 防御率1.57、中継ぎながら10勝を挙げるが、新人王は20勝を挙げた上原浩治に 2年目の2000年10月8日の広島戦が公式戦唯一の先発登板 この年も中継ぎ中心で10勝 その後も中継ぎで活躍 2004年に抑えに指名されるが、自宅で左足小指を骨折 それでもこの年は2勝3敗22セーブでチームのリーグ優勝に貢献 2005年に46セーブを挙げ、シーズン最多セーブの当時のプロ野球記録 60試合登板で被本塁打0でセーブ王 2005年に推定年俸3億5000万円で中日に在籍した日本選手では、1992年の落合博満を抜く球団最高年俸 2006年も40セーブで2年連続セーブ王 10月10日の巨人戦でリーグ優勝を決め、胴上げ投手 2007年7月7日に通算500試合登板、9月8日に秋山登と並ぶ9年連続50試合登板のプロ野球タイ記録 この年のクライマックスシリーズでも活躍し、日本シリーズ進出に貢献 日本ハムとの日本シリーズでは、第5戦で8回まで完全試合ペースの山井大介に9回から替わり、日本プロ野球史上初の継投での完全試合達成 完全試合ペースの山井を降板させた監督の落合博満の采配についていろいろいわれたが、落合は山井の8回で{(体力的に)限界です」との主旨の発言を受け、山井を降板させた 落合は退任後の白書で「あの時の心境を振り返ると、「山井は残念だった」というより、「ここで投げろといわれた岩瀬はキツイだろうなと思った」と記している 2008年6月14日のオリックス戦で667試合目にしてプロ初のサヨナラ本塁打を打たれている 北京五輪に出場したが、大会を通じて10失点、3試合で敗戦投手 しかし、レギュラーシーズンでは、10年連続50試合登板のプロ野球記録 ポストシーズン無失点記録を22回1/3まで伸ばし、13月に推定4億5000万円(現状維持)の4年契約 2009年7月30日に、日本プロ野球史上初の5年連続30セーブ、8月16日に20試合連続セーブ しかし、終盤は体調不良もあり、登板できなかった 2009年6月16日の日本ハム戦で通算250セーブ達成 救援投手では、佐々木主浩、高津臣吾に次ぐ史上3人目の名球会入り条件を満たす 8月7日の阪神戦で6年連続30セーブ 2009年・2010年がセーブ王 2011年は開幕から調子が上がらず、抑えを他人に任すことも 5月17日に通算700試合登板 6月!6日のソフトバンク戦で、日本プロ野球新記録の通算287セーブ 7年連続30セーブ 2012年は、不調だったが、シーズン終盤に調子を戻し、8年連続30セーブ 最終的にトニー・バーネットと並びセーブ王 通算5回目のプロ野球記録タイのセーブ王 契約更改で初の減俸 2013年、4月18日、通算360セーブ 5月14日、!0年連続10セーブ 8月27日に9年連続30セーブ 9月18日の巨人戦で通算382セーブで佐々木主浩の日米通算を上回る 2014年、7月26日、通算400セーブ しかし、左肘の張りで登録抹消 プロ野球記録の連続50試合登板が15年、連続30セーブが9年で途切れる この年は20セーブで11年連続20セーブ 2015年は左肘の影響で実戦登板なし 2016年4月9日に約2年ぶりに1軍登板し、8月16日に米田哲也、金田正一に次ぐ史上3人目の通算900試合登板 2017年、7月21日に945試合登板で金田正一のセ・リーグ記録を抜く 8月4日の巨人戦で通算949試合登板で米田哲也のプロ野球記録に並び、950試合登板のプロ野球新記録の巨人戦で通算404セーブ この年は、4年ぶりに50試合に登板し、3勝6敗2セーブ26ホールド、 防御率4.79でカムバック賞 2918年シーズンから投手コーチ兼任になるが、3月17日にコーチ職を解かれ。9月28日に通算1000試合登板 翌28日、通算1001試合登板 10月2日に引退表明 10月18日の阪神戦が引退試合 同点に追いつかれた9回裏二死三塁の場面で登板し、同期の代打・福留孝介を3球全てスライダーで三振に仕留め現役引退 引退後は、2019年から解説者・評論家 ■特徴 最多登板、通算セーブ数の日本プロ野球保持者 (通算セーブ数は、日本人最多) 新人の年の1999年から2013年まで15年連続50試合登板 3006年から2013年まで9年連続30セーブ かつては、「死神の鎌」と形容されたスライダーが武器 一方、本人が重視しているのがストレート 他には、シュートや2012年からのシンカー、2013年からナックルボールの握りでのカーブ、2017年から従来の高速スライダーと異なるスライダーとカットボールの中間の変化のスライダーなど 日本シリーズでは、無失点 打撃も投手としては悪くない (学生時代の通算124安打は、愛知大学リーグ歴代2位、プロでは、通算48打数10安打、3打点、打率2割0分8厘) 投手成績・・・ 18年、1002試合登板、59勝51敗407セーブ82ホールド、985回で841奪三振、防御率2.31 セーブ王5回、最優秀中継ぎ3回 コミッショナー特別表彰2回(特別賞) セ・リーグ連盟特別表彰(功労賞・2018年) 「完全保存版」2018中日ドラゴンズ栄光の強竜戦士引退記念号 岩瀬仁紀などの栄光の軌跡 |
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稲尾和久 |