若松勉 |
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■若松勉■野球選手■小さな大打者、ミスタースワローズ 右投左打 身長168センチ、体重76キロ 1947年4月17日ー 若松勉(わかまつ・つとむ)は、「小さな大打者」とも「ミスタースワローズ」ともいわれました・・・ 年間打率3割以上12回・・・ 2019年6月現在、日本プロ野球で、通算5000打数以上の打者で打率1位(3割1分9厘)・・・ 「投高打低」の昭和40年代に活躍した選手(ON(王貞治・長嶋茂雄)や一部の強打者などを除く)としては、伝説的、驚異的数字の成績・・・ 若松以後、「ミスタースワローズ」にふさわしい選手に背番号1が継承されている・・・ 北海道の小学校で野球を始める・・・ 中学時代には、野球以外では、スキー部で全国大会に出場・・・ 北海高では、野球部入部・・・ 2年からレギュラー一塁手となり、チームは1964年夏の甲子園に出場するも、若松自身は病気欠場・・・ 翌1965年夏の甲子園には背番号14ながら「二番・右翼」で出場し、1回戦敗退・・・ しかしこの試合で4盗塁でその俊足が注目される・・・・ 卒業後は、電電北海道に進む・・・ チーム自体は、都市対抗に出場できなかったが、補強選手として4年連続で都市対抗に出場・・・ 1967年には、拓銀の補強選手として、2回戦で本塁打を放つなど活躍し、拓銀の準々決勝進出に貢献・・・ 小柄な体格でプロでやっていく自信がなかったが、1970年秋にドラフト3位で指名され、プロ入り・・・ プロ入り時の背番号は「57」・・・ 中西太に才能を見出され、1年目の1971年から112試合に出場して規定打席未満(305打席)ながら、打率3割0分3厘を記録・・・ (同年のセ・リーグの打率3割は長嶋茂雄のみ) この活躍で背番号「1」に変更・・・ 2年目の1972年は、打率3割2分9厘で首位打者・・・ 盗塁が20でリーグ2位・・・ 1973年もリーグ2位の打率3割1分3厘・・・ 1974年は全試合出場で、リーグ5位の打率3割1分2厘・・・ 1975年は、初めて打率3割に届かず・・・ 1976年に、谷沢健一、張本勲と激しい首位打者争い・・・ 谷沢、張本に次ぐリーグ3位の打率3割4分4厘・・・ (この年の首位打者は谷沢) 翌1977年は、打率3割5分8厘で首位打者と158本で最多安打・・・ 1978年は、不振もあったが、最終的に首位打者争いでリーグ2位の打率3割4分1厘・・・ チームも初のリーグ優勝で、若松はシーズンMVP・・・ 日本シリーズでも本塁打を打つなど活躍し、優秀選手賞受賞・・・ ヤクルトは初の日本一・・・ 1979年は打率3割0分6厘・・・ 1980年はリーグ2位の打率3割5分1厘・・・ 1981年に規定打席不足で打率3割を切る・・・ 1982年に打率3割1分0厘、1983年に打率3割3分7厘・・・ 1984年に打率3割2分5厘・・・ 1985年10月9日に、通算2000安打達成・・・ この年の打率3割0分0厘が最後の規定打席以上の3割打者だった・・・ 1986年に打率2割7分5厘、最後の規定打席以上の年・・・ この年からから打撃コーチ兼任となる・・・ 1987年に、守備での衝突で持病の腰痛が悪化し、守備に就くことが難しくなり代打専門に・・・ 代打の切り札として活躍し、この年の代打打率4割4分4厘(36打数16安打)・・・ 通算代打成績は、打率3割4分9厘(258打数90安打)12本塁打70打点・・・ 55試合で打率3割7分7厘・・・ 1988年は73試合で打率3割4分8厘・・・ 1989年に55試合で打率2割2分4厘で現役引退・・・ 首位打者は2回(1972年、1977年)だが、打率3割5分以上が2回(1977年、1980年)・・・ 打率3割4分以上に4回(1976年ー1978年(3年連続)、1980年)・・・ 打率3割3分以上が5回(上記4回と1983年)・・・ (回数は規定打席以上) ヤクルト一筋19年、終身打率3割1分9厘は、2017年終了現在で、4000打数以上で歴代2位・・・ (歴代1位は、レロン・リーの打率3割2分0厘) 背番号「1」は、永久欠番も検討されたが、チームの顔となる生え抜きのいわゆる「ミスタースワローズ」に継承されている・・・ (池山隆寛→岩村明憲→青木宣親→山田哲人) 引退後、すぐに次期監督の声もあったが、野村克也が就任・・・ 現役引退後は、1990年から1992年まで解説者・評論家・・・ 1993年に1軍打撃コーチとしてヤクルトに復帰・・・ 1995年・1996年が2軍監督・・・ 1997年・1998年が再び1軍打撃コーチ・・・ 1999年に野村克也の後の監督に就任・・・ 2005年まで務めた・・・ 2001年は日本一となったが、リーグ優勝インタビューで有名な「ファンの皆様、おめでとうございます」発言・・・ (本当は「ありがとうございます」というべきところの言い間違えだが、後にこの発言が和んだ雰囲気を出して浸透、一般化) 本拠地最終戦も「…オールスターでも、いや日本シリーズでも皆様の応援よろしくお願いします」と発言してしまう・・・ そして日本シリーズ制覇のインタビューでは「本当にファンの皆様、改めて、日本一、おめでとうございます」と叫んだ・・・ 「おめでとうございます」発言は、この年の新語・流行語大賞の語録賞に・・・ 若松の発言以後、「おめでとうございます」発言が他からも飛び出すように・・・ ヤクルト監督時代は、7年間でリーグ優勝・日本一1回、4年連続Aクラス・・・ 2006年より再び解説者・評論家・・・ 2009年に野球殿堂入り(日本)・・・ 2011年は、ヤクルトのキャンプで臨時打撃コーチ・・・ 特徴・・・ 前述の打力に加え俊足で、守備も高評価で、攻守走に優れた選手・・・ 特に安打打ちの名人・・・ 「おめでとうございます」発言のような生真面目な一面も・・・ 北海道の英雄で、北海道日本ハム監督の待望論も・・・ 打撃成績・・・ 19年、2062試合、6808打数2173安打、220本塁打、884打点、打率3割1分9厘 最優秀選手(MVP)1回 首位打者2回 最多安打1回 ベストナイン9回 ダイヤモンドグラブ賞2回 オールスターゲームMVP2回(1973年第1戦、1977年第1戦) サイクルヒット1回(1976年7月9日) 野球殿堂入り(日本)(2009年) ファンの皆様おめでとうございます 本のタイトルは、新語・流行語大賞・語録賞にもなった若松勉の言葉 監督成績・・・ 7年、975試合、496勝461敗18分、勝率5割0分9厘 リーグ優勝1回、2位2回、3位1回 |
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